あおとり倉庫
答えは分からなくても

今日はしいなにとって何よりも大切な日だった。 10数年前、里の人間を死に追いやってしまった日。忘れてはいけない日。しいなは朝から墓である石碑を掃除し、石碑に首部を垂れ夕方まで瞑想した。 頭領になる前—世界再生の旅の前は、石碑に近寄るのも許さない遺族もいて、それは今でも完璧になくなることはない。だが、トラウマと向き合い、罪の発端であるヴォルトと契約し、世界再生に成功すると、しいなへ向けられる里のものの目が変わったと思う。 頭領になれるくらいには、しいなへの感情は変わったと思っていいのだろう。 そんなあたたかな変化があっても、この日ばかりは厳かに、過去と向き合い、過ごしている。 そんな今日が終わる頃、しいなは自室のある離れへへ戻り寝支度をすましていた。 しいなは気持ちが落ち着かず、縁側に腰を下ろし、庭の池に浮かぶ月を眺めながめた。 罪悪感に潰されそうだった日々の中、死を覚悟したあの時も満月だった。 —————— 罪に押しつぶされて死のうと思ったことがある。 だけどそれは、罪から逃げることでしかなくて、なんの贖罪にもならないと気付いた。 考えた結果、償いの一つとして故郷のために身を粉にして手足となって働いた。 故郷への仕送りが足りないときは精霊実験所のモルモットになった。 それでも償いは足りないと思っていて。 何をしたらいいのか分からなかった日々を過ごしていた中でそれは起きた。 異界の扉の前でくちなわから憎しみの刃を向けられたとき、しいなは再び死を思った。 悲しみを紛らわすことができるなら、自らの罪の遺児である幼馴染であるくちなわに殺されてもいいと思った。 自らの命をたつのではなく、くちなわの悲しさ、怒りが少しでも紛れるなら。彼にはその資格があると思ったのに。 「…冗談じゃねーぞ!…アホしいなが!」 それをさえぎったのは毛色の違う別の昔馴染みだ。今でも忘れない。見慣れない必死さに呆気に取られている間に手を引かれて、死を掻い潜っていた。気がつくといつもの軟派な態度に戻っていた。 今思えば、その頃レネゲードとクルシスの半官として暗躍していたゼロスにとってしいなの生死は特に体を張って防ぐものではなかったと思う。 どうしてあのとき助けてくれたのだろう? 人間の行動には一貫性がいつもあるわけではない。なおさら気まぐれなゼロスのことだ。なんとなくとか、特に意味はないのだろう。 だけど、あの自分の手を引く懸命な姿を思い出すにつけて、気まぐれとは思えなくなった。 ——————— —目の前で死なれるのが目覚めが悪かったのだろうか。 秋口のひんやりとした風が吹いた。 池に映る月はゆらゆらと揺れていて、不安定なそれは掴めないゼロスみたいだと思った。 ゼロス・ワイルダー。 次期頭領候補として祖父に手を引かれ初めて訪れた謁見の間で初めて目にした時から、目に光が宿っていないと感じていた。 それは妹への複雑な感情だとか、生への諦念だとかそういうものの入り混じった結果だったということを世界再生の旅の佳境で初めて知った。 だから、なおのこと必死に手を引かれたあの時が忘れられない。 その時、水月に人影が映った。 はっと顔を上げると今まさに思い浮かべていたゼロスが、まるで忍者のように外壁の上に立っていた。 「ゼロス!?」 ゼロスは外壁から洗練された動作で降りると、しいなの前へと姿を表した。 暗くてよく見えなかった姿が月光に照らされる位置に来てよく見える。紅い髪が風になびく。 「よぉ!」 「こんな遅くになんなのさ」 「なんとなくってやつ?」 「あんたはなんとなくでメルトキオから森の中を抜けてこないといけないミズホまで来るやつだったのかい?」 「まあ、そういうことにしといてよ」 「よりによって今日来なくてもいいだろうに…」 ほぼ独り言のようにつぶやいたその言葉に、ゼロスも独り言のように反応した。 「…今日だからこそ来たかったんだ」 「へ?」 「あ、今のなし!ほんとになんとなくミズホの美味しい空気を吸いたくなっただけよ。それでしいなのシャワーシーン久々に拝めるかなぁって来たけどもう終わって、あだっ!」 いつもの手癖が出てしまったが、それはゼロスが悪いと思う。 「それが用ならさっさと帰んな!」 「あー、もう!」 ゼロスは頭を無造作にかき、いつもの余裕綽々の表情が見えないくらいに俯いた頃、口を開いた。 「…お前が心配になったんだよ」 その声のトーンが珍しく真剣で、こちらも真面目に答えざるを得なくなった。 「…なんでなのさ」 ゼロスは言葉を探すようにゆっくりと答えた。 「…今日は事故の日だし……あの時と同じ満月だし…お前が…その、死のうとするんじゃないかって」 「あの時って世界再生の旅で異界の扉を潜った日かい?」 「…よくわかったな、そうだよ。あの時」 「…ふふ、ふふふふ」 ゼロスの真剣な顔に、真剣な空気に耐えきれなくなって笑ってしまった。 「なんだよ、なにがおかしい?」 「だって、あたしが死ぬなんて!はは、ありえない!」 それは、あの異界の扉を潜った後、くちなわと再び対峙した時、すでにしいなに迷いは無くなっていた。生きてることに意味がある。死んだら何もなくなる。それはやはり今でも変わらない。 「…そうだよな。…お前は、乗り越えたんだ」 「…でも、心配してくれて、ありがと」 ゼロスはバツが悪そうに、バンダナのあたりを弄っていた。 「心配してくれたついでに、一つ教えてくれないかい?」 「…ん?」 「…なんであの時、助けてくれたんだい?」 ゼロスは触っていたバンダナから手を離し、こちらに向きなおして、真剣な顔で何かを言いかけて、そして、やめた。 そして改めて発した言葉は。 「なんとなく」 その声色からしいなは、先ほどのようにぽろりと本音をこぼす類の物ではないと思った。ゼロスお得意の、心の中に何重にもそこに本音をおいて上辺の嘘でごまかす、あれだ。 しいなの観察眼が成長したのか、ゼロスが隙を見せるようになったからか、彼の言葉が嘘かどうか、裏に意味を含んでそうかくらいまでならわかるようになった。 「なんとなく」の裏側の意味までは分からないが、少なくとも今教えてくれるものではないらしいことも分かった。 「いつかホントのこと、教えてよ」 「…そこまで気づいてるのに、鈍感なんだな」 ゼロスは呆れたように笑ったのがちょっとムッとして、びしっと人差し指を彼に向けた。 「鈍感で結構、いつかあんたから力づくで聞いてやるんだから!」 しばらくして目があって、二人でからからと笑った。 「茶でも飲んでいくかい?」 「いや、お前が思ったより大丈夫そうってわかったからもう帰るわ。俺様を待ってる書類の山もあることだし」 「そ、じゃーね」 「ああ、またな」 ———————— いたって簡素な別れの後、 里の外れの方からレアバードが飛んでいくのが見える。 「なんとなく」の意味はわからなかったが、きまぐれとかそういうことではなく、なにか理由があって異界の扉では助けてくれた気がした。今はそこまでしかわからないけどそれでいい。 なぜかくすぐったいような小気味のいいような気分になってひとりごちた。 「ゼロスのばーか」 その声は、いつのまにかやんだ風のせいでいつまでも、なんともいえない気分と一緒にそこにただよっている気がして、落ち着かなくなった。