あおとり倉庫
その手の行方

冷たい風が頬を刺す。ああ、もう。なんでこんな時期にメルトキオにいるのか。いつもならアルタミラに避難して美女たちを侍らしてぬくぬくと楽しんでいるのに。 ゼロスは謁見を終えてテセアラ城の正門をくぐって帰路に着いたところだった。 城から自邸へは徒歩数分。それでも雪の降る冬の寒さは堪えた。なによりも封印したはずの嫌な記憶がチラつくのが心地悪い。 赤い雪。あぁ、くそ。胸糞悪い。早く部屋に帰ってカーテンを閉ざして、持って帰った仕事の続きでもしよう。 そう思って早足で歩いていると自邸が見えてきた。逸る気持ちを抑えながら、屋敷の玄関を開けようとした時だった。 「あれ?ゼロス、今帰ったのかい?」 振り返るとそこには異文化の装束を纏った女性が荷物を抱えて立っていた。それがしいなだと認識するのに時間はかからなかった。冬だと言うのに相変わらず胸元は広くはだけていて、寒くないのかと場違いなことを思った。 「…なに、胸ばかり見てるんだよっ…このアホ神子」 しいなはいつものように拳を向けてくる。だけど、ゼロスは今日に限ってその茶番に付き合う気になれなかった。 向かってきた拳を振り払うとしいなは驚いたような顔をした。けど、今はそれに付き合っている余裕はない。 「…なんか用なんだろ?とりあえず、入れよ」 笑顔はいつも通り作れているだろうか。声色はいつも通りだろうか?しいなは鈍い女だが、察して欲しくないところに限ってピンポイントで見抜いてくる。今のゼロスにとっては面倒臭い女だ。 「…あぁ、…うん、ありがとう」 しいなは振り上げた右手を下げると、素直にゼロスについてきた。 セバスチャンに帰宅の報告をして、しいなを応接間に案内させる。ゼロスは一旦自室に戻って持って帰ってきた書類の山を置く。ふと、入口の横にある姿見が目に入って、向かいあう。数年前までテセアラの偶像だった自分が幾人にも向けてきた無敵のスマイルを作ってみる。鏡の中の青年は綺麗に笑っていた。大丈夫、いつも通りだ。ゼロスは応接室に向かった。 ワイルダー邸のガラス張りの応接室は、春や夏には庭に咲き誇る花々を眺めることが出来る。今は、庭には真っ白な世界が広がっている。カーテンのないこの部屋はゼロスにとって冬になると嫌なものに変わった。 ゼロスはが応接室に入った時、しいなはソファには座らず、外を眺めていた。その面持ちは真剣でどこか憂いを帯びていて美しかった。ゼロスは思わず見蕩れてため息を着く。なんで、自分はこんな面倒臭い女に惹かれてしまっているのだろうか。そして未だに踏み出すこともなかったことにも出来ずにいる。しいなはまだ部屋に入った自分に気づいていないようだったから、声をかけた。 「で、何の用だ?」 しいなは声をかけられて、やはりそこで初めてゼロスの存在に気づいたらしく肩をビクッと動かして、振り返った。それは忍びとしてどうなのか。 「…あぁ、ゼロス、悪いね時間取らせて。今日はシルヴァラント側のマーテル教の使いさ」 世界統合後、ゼロスは自らしいなを和平の使者として推薦した。その結果しいなはシルヴァラントとテセアラを飛び回る使者になり、その立場から時に体のいい雑用係のような立ち位置も甘んじていた。相変わらず人がいいやつ。 「そのまえにさ、ちょっとあたしと雑談しないか?」 「…なんだよ唐突に」 しまった。思わず不機嫌そうな声色になってしまった気がする。いつもしいなを振り回して遊ぶのは自分の方だ。しいなの行動や言動は読みやすくておちょくって遊ぶのが嫌いでない。それが自分が憎からず思うしいなに唯一許された2人だけのコミニュケーションの様な気がしていたから。それなのに、今のしいなは先が読めないことを言う。 早くしいなを返して部屋に籠って1人になりたいのに、場の主導権が握れなくて、イライラする。 「あたしさ、てっきり今の時期だからあんたはアルタミラにいるもんだと思って、ろくにミズホの情報も確認せずに向こうに行ってきたんだよ」 「そうなのか」 「いつもあんたが泊まってるらしいホテルのスイートルームを調べたらさ、誰も止まってなかったってわけで、こっちに来てみたのさ」 「そっか。で、無事に会えたな。それで、そのシルヴァラントのマーテル教会がなんだって」 「あんたさ、変わったね。いや、変わってないけど」 しいなが早く本題に入ってしまいたいゼロスを遮るように言った。まるで自分を分かりきったかのようなその発言に苛立ちが増す。 「は?なに?さっきから何が言いたい?喧嘩売ってんの?」 「そういうとこ、変わったね。昔より素直になった」 「は?」 「そうやって感情を素直に出す所は変わったけど、…雪、やっぱり嫌なんだろ?それは変わってない。それでも仕事のためにメルトキオにいる。変わってないけど、変わった」 やっぱりしいなは隠しておきたいことに限って嗅覚が鋭い。そういうところが、ムカつくし、妙に惹かれてしまうところでもある。 なんと言葉を返したらいいのか分からずただただ、その鳶色の瞳を見つめていると、次の言葉が飛んできた。 「あたしはさ、辛いことから逃げなくなったあんたがすごいって思うのさ」 しいなは見惚れてしまうほどの笑顔でそう言いきった。 ああ、もう。ムカつく。小競り合いにいつも勝つのは自分の方なのに。分かりきったような事を言ってきて、実際に見抜かれていて、最後は褒めてくる。そういうところに毒気を抜かれて、気がつけば、嬉しくなっている自分がいる。今日みたいな日に限って、負けてる気がする。だけど、嫌じゃない。 ゼロスはやはり返す言葉が見つからない。見つからなかったのは、今まで隠してきた踏み出せなかった気持ちが溢れだしてくるからだ。 「はい!雑談終わり!」 しいなはまるで、これで終わりと言わんばかりに勢いよくこの場を収めようとしている。早く言葉を続けないとしいなは仕事の話を始めてしまうだろう。 珍しいことが起きた。 ゼロスは咄嗟にしいなを引き寄せて腕の中に閉じ込めた。言葉が見つからなかった果てに、出でしまったのは行動だった。そんな自分に驚きつつも、雪に嫌な記憶を見てみっともなくなっている自分を見抜かれたのなら、もう何も隠さなくていいと思った。 「な、なん、なに…?」 しいなは腕の中で動揺して震えてるが知らない。さっきまではこっちがしいなの予想のつかない行動にやきもきして負けた気分になったのだ。今度はしいなの番だ。 「なぁ、しいな。すごいと思うんだったらご褒美ちょうだい」 しいなを腕に抱いたまま、わざと耳元で吹きかけるように喋ると、さらに身を震わせて縮こまるところに愛おしくなった。 「あ、あの離してよ」 ゼロスの胸の当たりをしいなは押してくるが、離す気は無い。まだ褒美は貰ってないのだから。今日は取っておきのどんでん返しでおちょくってやる。 「なぁ、しいな。俺のものになってよ」 「……は?」 「しいなの前だったらもうどうでも良くなった。取り繕うことも。そう思わせたんだから責任取ってよ」 ゆっくりと体を離して、しいなの肩口に両手を乗せる。しいなの揺れる鳶色を覗き込むと僅かに濡れていた。 「さっき、あんた、あたしの手を振り払っただろ?」 動揺するだけだったしいなが突然紡いだ言葉の意味が分からなかったが、さきほどの玄関先での茶番のことを言っているのだろう。 「ああ」 「それで、なんとなくさっき言ったことに気づいたんだ」 「…そうか」 「けどさ、振り払われたらさ、いつもの腐れ縁のあたし達の挨拶みたいなのが拒否されたみたいで悲しかった」 しいなは、両方に乗った肩口に乗ったゼロスの手を振り払った。 突然のしいなの行動にゼロスは驚く。拒絶の意志を示されたのかと思った。しかし、そこから思考が広がる前に、しいなは振り払ったその手をゼロスに差し出してきた。 「握手して」 「え」 「あんたの気持ち、今は全部受け止めきれないけどとりあえず、あたしの今の精一杯の返事と…」 「返事と?」 「さっきあたしが悲しくなった気持ちを返してもらう」 しいなはどこか拗ねたように、こちらを睨んでくる。その様子さえ可愛らしく見えるのだから、自分が思うより彼女に溺れているのかもしれない。 ゼロスはクスッと笑って差し出された手に自分の手を差し出しだして掌を重ねて握った。すると繋いだ手は今度こそ振り払われずに、きゅっと握り返された。