最近、なにかとしいなと酒を飲み交わす機会が多い。それは、ゼロス・ワイルダーにとっては悪くないことだった。 たとえば、メルトキオ城下町の大衆酒場に近いバーで。逃げ場として利用することが増えてきたミズホの縁側でおろちをはさんで。 その日の夜、一緒になったのはメルトキオのバーだった。 示し合わせたわけではなく、たまたま憂さ晴らしに来ると、そこにしいながいた。 当たり前のようにカウンターの横に座り、とりとめのない話をする。そして、しいなはそれを自然に受け入れる。この関係が心地いい。 バーの薄暗い灯りに照らされたしいなの横顔をそっと盗み見る。ふだんたとえ胸元全開でも健康的な印象なそれは、今の雰囲気の中ではそれは蠱惑的なものに映った。 グラスを見つめる伏せ目がちな長い睫毛。 暗めの照明は、肌の滑らかに浮かび上がらせ、もともとメリハリのあるスタイルは作り出された陰影によって曝け出されていた。 やっぱりいい女だ。 夜がそこそこふけて、めぼしい女と二人きりでいれば、このあと自分の部屋に誘うとか、ホテルに誘うとか、ゼロスは自然にそういうことができる男だった。 けど、しいなにはそうはいかない。 少女の頃から彼女を知っているから今更、とか、好みと違うとかそういうことではない。 むしろ、しいなのことを抱きしめたい。キスして、それ以上の関係を持ちたい。 だけど、そんな欲望より、なにより一番そばで支えたい。 でも彼女がそういうことをされたいのはだれかということをよく知っている。 ロイドだ。 彼には絶対に勝てない。 ゼロス自身、彼に闇から救われたようにしいなも救われた。 だから、ロイドがしいなにとってどんなに大きな存在なのか痛いほどよくわかる。 その大きな存在を超えて、今の心地よい関係を壊して、彼女の一番に踏み入る勇気が湧かない。 「考え込んじゃって、どうしたのさ」 目の前でぶんぶんと手を振るしいなの声に我に還る。 「…なんかよー。胸、また大っきくなったかなって思って」 とっさに誤魔化すために口をついて出た言葉に、 「アホかい!」 と間髪いれずに小突かれて、やはり今の関係性が心地いい自分に気づく。 *** 日付が変わる頃、しいなが宿に帰るという。 じゃあ送ってやるよ、と当然のようについていっても、特に拒絶する様子がないのは安心する。 しいなには決まって利用する宿がある。 そこはこの酒場よりもメルトキオの一つ上のフロアに位置する。 近道にはいつも酒場の横から一つ上のフロアの公園へ続く階段を使っていて、今日もそのルートで帰るようだ。 歩きながら、変わらない関係の安心感に対して、一方で明日もこうなのか?と思う。 それは間違いなく心地よいだろうが、来年も、3年後も、10年後も変わらずいられるだろうか。 神子制度の廃止された自分とは違い、彼女はミズホの頭領としていづれ伴侶を迎える身だ。 ロイドでなくても誰かのものになった彼女と今日のように心地よく酒をかわせるとは到底思えない。 だから、そうなる前に玉砕覚悟で今の関係より先に踏み入るべきという考えはいつもよぎるが… ゼロスが複雑な心中に眉をひそめていると、公園への登り階段の一段目に足をかけたしいながふりむいた。 「今日、あんたなんかおかしいよ。眉間、しわ出来るよ」 階段の段差のせいで身長がほぼ同じになったゼロスの眉間に人差し指を伸ばして何度つついてくる。 いい加減鬱陶しくなってやめさせようとした時、まるで忍びらしくないことに、しいなは段差からバランスを崩す。 「わ!…っと」 倒れこんできたしいなは自然にゼロスの腕の中に収まり、 申し訳なさそうにこちらを見上げる。 その表情は酔っているのか頬が薔薇色に上気していて、いつも強気なまなざしはとろんとしている。 誘ってると解釈してしまいそうな色香に、 酔いそうになる。 「ごめんよ…」 さらに、先ほど意識した豊満な身体が密着していて、落ち着かない。 「…ねぇ、酔ってフラフラするからさ、おぶって宿まで連れてってくれないかい?」 「はぁ?」 ああ、まずい。 しいなが酔って意識がはっきりしてないのをいいことに、なし崩し的に宿でことに及んでしまいそうだ。 「誘ってんのか?」 はっきりと否定してくれ まだ、引き返せる。 否定して理性をつなぎとめて欲しい自分と、 心のどこかで肯定してくれるのを期待している自分が同居している。 もし、何かの間違いで肯定してくれたら、 欲望が勝ってどうにかなってしまうのは目に見えてる。 それはそれで、膠着状態のぬるま湯から抜け出すきっかけづくりができるのかもしれない。ロイドという自分が認めた勝てない存在がいる限りそういうアクシデントがないと踏み出せない自分にはもう気付いている。 「ばぁか」 しかし、やはり予想通りの否定。 色香たっぷりの表情から無邪気な笑顔にかわり、しいなの唇からゆっくりと紡がれた言葉は、ゼロスに安堵と落胆をもたらした。 今日も心地よい関係でいられる代わりに、新しい可能性はつぶされた。 「宿の受付まで、だから」 「わかってるよ」 からからと笑って、階段の段差を利用して背中におぶさってくる。 ゼロスは自分の背中で心地の良い脂肪がつぶれるのを感じた。 「じゃ、そういうことで。おんぶ」 それがなんなのか認知した瞬間から焦ったが、ただの脂肪だと言い聞かせ、ポーカーフェイスをつくる。 今しがたのやりとりで再確認したが、 しいなは、自分に悪友のようなノリをもとめているように思えた。 だから彼女が愛おしい故に、彼女が望む自分でいてやることにする。 そう思ってると規則正しい寝息が聞こえてきて、図らずとも部屋まで運ぶことになってしまった。 *** 背中のしいなを見て呆れ顔になった宿の受付係から、鍵を受け取ると部屋に直行した。 扉を開くとすぐにベッドを発見。 ベッドにしいなを横たえシーツをかけてやる。 湧いてくる名残惜しさと下心に無視を決め込んで部屋の出口へ向かおうとしたとき、 何かが、裾に引っかかる。 「…帰っちまうのかい?もう少し話し相手が欲しいんだよう」 上目遣いのしいなが裾を強く握ぎっている。 「…え、はぁ?」 状況が読み込めないゼロスにたたみかけるようにむにゃむにゃとしいながしゃべる。 「あたしって…そんなに…色気ないのかい?」 いや、ありすぎて困ってるんですが。 ただ、今はそれよりもぼんやりとした焦点の合わない瞳を覗きこんで心配になった。 「どうした?」 呂律も怪しかったしいなだが、次の瞬間、酔っ払い特有の饒舌に変わった。 「だってゼロスって女なら誰でも良さそうなのにあたしに興味なさそう!」 大袈裟に泣くポーズをとってベッドに突っ伏すしいな。 「…とうとうロイドくんに迫ってふられてやけになってるのか??」 「…ロイドなんか関係ない!」 「あー、まさかとは思うけど、ロイド君にふられてやけになって、俺様で寂しさ埋めようとしてる??」 「…」 しいなに限ってあり得ないと思ったが彼女も女だ。血迷うこともあるのだろう。 顔が見えなくて表情は読み取れなくても、沈黙を肯定だと受け取った。 「ゆきずりの女だったらなぐさめてやるけど、お前は今後も関わらなきゃいけないからなあ。」 なにより、しいなは特別だから。唯一の心から焦がれる女性だから。 先ほどまでの下心はどこかに行ってしまって、今はしいなに軽はずみな行動をとって欲しくない。 「もっと自分を大事にしろって」 惚れてる女をあきらめもせず、踏み込みもしない、こんなどっちつかずの男に自分を安売りするな。 *** ロイドとは一年前に終わったんだよ。 始まってもなかったけど。 一方的な恋心。彼に1番ふさわしいあの子がその席を射止めた。 たしかに、あきらめるのに時間が掛かった。 だけど諦める時間に気づいたことがあった。 気が合って、自然体でいられる存在はゼロスだけだということ。 それってすごいことだ。 気づいたら「あたしのこと好きになってくれたらいいのに」って思っていた。 そしたら、もっと楽しいんじゃないかって。 けど、好きなんて今更言えない。それでも気持ちが知りたくて酔っぱらった勢いで色仕掛けしてみても、ゼロスはいつもと変わらない。 「あのさぁ、…やっとわかったけど、あんたってあたしに本当に興味ないんだね」 「はあ?」 噛み合わない会話にゼロスが苛立ってるのがわかる。 だってあたしは酔っ払い。酔っ払いがめんどくさいのは仕方ないことだと諦めてもらいたい。 「あんたにとって本当に女じゃないってわかった。こんなに条件が整ってるのに襲ってこないなんてさ」 「はあ?!襲って欲しいわけ??」 「そうだよ!」 「…はぁ。」 ゼロスは自分の長い髪の毛の間に指を差し込んで頭をかく。困ったと体現するように。 「いいか、お前は酔ってる。酔っ払って思考回路がいかれちまっておかしいこと言ってる。」 「あーもう寝るから帰ってよ!これ以上惨めにさせないでよ!」 枕を投げつけ、シーツを頭からかぶる。 もう恥ずかしいからこれ以上、一緒にいたくない。出て行って欲しい。 どのくらい時間が経っただろうか。 イライラした精神状態でも 酒の効果と寝具の暖かさで眠くなって来る。 部屋の中は風が窓を叩く音しか感じないので、ゼロスはもう呆れて帰っただろう。 半分夢の中に落ちていく思考の中で思う。 ふと夢の中で声がする。 「もう寝たよな」 シーツ越しに微かに聞こえるそれは優しい声だった。 かぶっていたシーツを頭だけ剥がされた。 冷たい空気が顔に触れたと認知すると同時に暖かい何かがそっと前髪に触れる。そのまま髪を梳かれて心地よい。 「…俺にとってお前はいちばん大事な女だよ。だから、自分を安売りして欲しくない。 特に、寝てる時にしか惚れてる女に本音を打ち明けられない卑怯な男には」 どうやら都合のいい夢を見ているらしい。 なぜならば、優しい声で自分にとって都合のいいことを言うゼロスなんて今日存在しないって分かったところだから。 「ずっと前から好きだよ、しいな」 しいなの意識はそのまま夢の世界へと旅立った。 *** と、眠ったしいなの髪を透きながら思いを口にしたところでゼロスは思案する。 しいなに対して自身を臆病にさせていたロイドという存在はどうやら心を決め、しいなは失恋してしまったようだ。 ということは。 それは何を示しているかというと。 唯一絶対勝てないと思っていたロイドへの遠慮はもういらないということだ。 そしておまけに慰めの男に自分を選んだくらいだから恋愛対象に入れる可能性はあるようだ。 そのことに気づいたとたん気持ちが高揚する。踏ん切りのつかなかった気持ちに素直になれる。 しいなに選んでもらうためにこれからどんなふうにアプローチしてやろうか。 今日のことはどうせ覚えてないだろうから、多少誇張して今日のやりとりを今度教えてやったら自分のことを男として意識するだろうか。 「次会ったら、覚悟しとけよ」 こめかみにくちづけて、 今日のところはこれくらいにしとくかと、 宿を後にした。 家路に着く足取りはいつもより軽かった。 *** 翌朝、しいなは宿のベッドの上で頭を抱えていた。 ゼロスと酒を楽しんだ後、自分がどうやって宿に戻ったのかどうやっても思い出せない。 悔しい思いをしたような、甘い思いをしたような。 どちらにせよぎゅっと切なくなる胸がゼロスのことを1人の男性として意識しているのを示しているようで恥ずかしくなった。 そういう自分を昨日会って再確認してしまった。 会えば会うほど募っていく。 伝える予定も勇気もまだないのに。 しかし、次にゼロスに会う時、しいなは彼の態度の変化とその気持ちに気づくのであった。